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幸せな国 水木しげる

Posted on October 22, 2020 at 10:15 PM Comments comments (14145)
ゲゲゲの鬼太郎の主題歌。
施設で唄っても多くの高齢者が一緒に口ずさむことができる歌。
昭和だけではなく平成の定番ソングにもなっている。

テレビ放送は
約50年前の1968年からはじまった。
以来 最近まで新作も多くつくられ、旧作の再放送を含めて繰り返し繰り返し放送されてきた。

老若男女、時代を越えて、皆で唄える数少ないアニメーション主題歌になっている。

ゲッゲッ ゲゲゲのゲー
朝は寝床で グーグーグー
たのしいな たのしいな
おばけにゃ学校も
しけんもなんにもない

ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲー
夜は墓場で 運動会
たのしいな たのしいな
おばけは 死なない
病気も なんにもない

作詞は 水木しげる
作曲はなんと いずみたく。
昭和ポップスのヒットメーカー。
私のいちばん好きな作曲家である。古賀政男 服部良一 吉田正 遠藤実 についで国民栄誉賞をあげたかった作曲家。
昭和ポピュラーソングの巨匠と言っていい。

どれ程彼の作曲した曲を繰り返しギターで唄っただろう。そんな彼が この曲をつくっていた。

"幸せな国"の人たち
ゲゲゲの鬼太郎の原作者 水木しげる。

戦時中 彼は陸軍に徴用されると南方の島の守備隊に配属になる。
彼はこんな体験もしている。
ジャングルの中、ある晩 小隊から少し離れた場所で夜の見張り番をしていると 敵軍が攻めてきた。
あまりの攻撃の激しさで小隊が全滅する。
離れた場所から小隊を見守っていた彼だけが運良く生き延びた。
ひとりジャングル深く逃げ込んで生き残る。

ある時は、空襲の負傷が原因で片腕を切断することになる。
この時、後方のジャングルの中の野戦病院に送られることになった。ここで貴重な体験をする。
病院の周辺に住む現地人との交流が生まれたのだ。
のんびり屋の彼は 波長ごあったのか現地人に歓迎された。
怪我の療養をかねながらのんびりと
現地人と交流しながら過ごすことになる。

現地人の生活はほんとんど働かないでいい。
常夏のジャングル。最低限の衣食住は充分足りていた。
自生する食糧はいつでも豊富に実っている。
だから食べる分だけ収穫すると あとはのんびり過ごすのが彼らかの生活だったという。
時間はゆったりと流れていく。規律責めの軍隊とどれ程違っていたのだろう。日本での生活とどれだけ違っていただろうか?
のんびり暮らす彼らの生活にあこがれた。
軍を脱走して ここで住みたいとまで思っていたという。

幸せって何だろう。
衣食住が足りて、過度な労働もせずに のんびりと暮らす。
日本は一説では世界で最も幸せな国と言われている。
次から次へと欲しいものがつくられ、
それを手に入れようと努力する日本人。
世界を見回し いつも競争の中で幸せを享受しているように見える。

欲望をつくらない世の中。
水木しげるがあこがれた世界は
時間が止まったままで今でもあるのだろうか?

曼殊沙華・・彼岸花

Posted on October 8, 2020 at 7:43 PM Comments comments (2099)
ジョギングは小さな旅
通りすがり神社の境内に
真っ赤な花が咲いていているのを見つけた。

門前で踵をかえ返す。

それは大きな木の下で幾りんかの花をつけた曼珠沙華(彼岸花)だった。

お墓の花。縁起が悪い。日陰の花。などと揶揄されるけれど最近は季節の花として、見る機会が増えたように思う。

乃木将軍の碑
曼珠沙華の脇に大きな板碑が建っていた。

案内板には
「日露戦争 戦勝記念碑。GHQの命令で 碑を壊するように命令されていた。
町民の気持ちとしては碑を残したい。
そこで予算がないと のらりくらり撤去を延期しているうちに7年間の占領が終わった。
今では貴重となった碑を残すことができた」。
と言うようなことが書いてあった。

大東亜戦争でアメリカと四つに組んで敗戦した日本。
アメリカとって強く危険な国だった。

その道徳、規律、協調集団力。
西欧諸国にはない日本の独特な国民性をいちばん怖れた。
どうやったら日本人の力をそぐことができるか?

アメリカGHQは力を削ぐさまざまな政策を実行していった。

乃木大将の碑、特に軍人を尊崇する碑は最初に破壊の指定対象となっていた。

今では最も近しい関係となっている日本とアメリカ。
終戦から75年。
こんな時代もあった。

幸手権現堂
昨年 曼珠沙華の季節に来たけれど、
そのピークを過ぎていた。

神社の曼珠沙華をみて再度出かけた。 
ここは関東で有数の桜の名所なのだけれど、 
曼珠沙華も素晴らしい。
土手いっぱいに真っ赤な色が咲き乱れている。

ここまで大群で赤く染まると
縁起の悪い花ではなくなっている。

日が照らすと一層鮮やかに輝いて見えた。

スカイツリーの街 昔。

Posted on September 20, 2020 at 8:05 PM Comments comments (10070)
夕暮れ時
スカイツリー周辺を歩く。

陽が暮れて路地裏から灯りがこぼれる。
黄色い街灯り。

私は いつものように
路地裏に向かって歩く。
狭い路地に流れ扉の玄関。
漏れ聞こえる家族の会話。
磨りガラスにテレビが映る。
カレーの香り。
素朴な生活 家族の団欒。

町中に錆びたトタンの看板が
いくつも残ってた。
狭い道がいくつも交錯してた。

表通り出る。
古びたアーケード
居酒屋の赤い提灯
ラーメン屋
靴屋、洋服店、カバン屋、雑貨屋。
ーーーー。

その場所に今
スカイツリーがたつ。
この辺りは
こんな下町だった。

首が痛くなるほどの角度で
スカイツリーを見上げながら。

ふと あの頃の懐かしい
風景を思った。

30年ぶりの川中島

Posted on September 20, 2020 at 4:16 AM Comments comments (1759)

久しぶりに長野 川中島へやって来た。
30年振りだ。
長らく登りたいと思っていた「妻女山」に登った。
それどこ?
武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の合戦。
上杉謙信が本陣を構えていた山が「妻女山」。
川中島は二つの川に囲まれた広大な砂州となっている。
この川中島を見下ろすように突き出した山が「妻女山」。
上杉謙信は武田信玄の領地である川中島に進出すると
妻女山に登って距離をとって武田軍とにらみ合うことになる。
キツツキ戦法
上杉、武田両軍の膠着状態が長く続いた。
しびれを切らした武田信玄が動く。

軍を二つに分け一隊に妻女山の後方から夜襲をかけさせ、
追われて川中島に降りてきたところで信玄本隊とで
挟み撃ちにしようとする作戦。

ところが前日の煙の上り具合から
武田軍の動きを察知した上杉謙信は 
いち早く川中島に降りる。

早朝 厚く垂れ込めた朝霧が晴れると、
上杉本隊と武田本隊(信玄)はあまりにも近づいていた。
いきなり総力戦となる。

武田 上杉の本陣が間近に拮抗する凄まじい戦闘。
半分を夜襲隊に割いている信玄本隊は窮地に。

兵数に劣る信玄は徐々に陣を崩されていく。
万事休すという時に前夜から迂回して、
妻女山へ向かったの武田夜襲隊が謙信の後方に現れた。

上杉軍にとっては逆王手の挟み撃ちとなった。
謙信はこれまでと判断し
一騎果敢に武田本陣に討ち入り
信玄に太刀を浴びせると
兵をまとめ上杉領へと退却していく。
両軍でおびただしい戦死者を出した
有名な合戦である。

川中島の合戦を描いて 映画「天と地と」
1990年 平成2年公開の映画 。
角川映画絶頂期の映画の一つ。

30年前 この映画の封切り公開を川中島にほど近い長野市の映画館に私はわざわざ見に来ていた。
この映画を見て興奮の冷めやらぬうちに 合戦の地 川中島を訪れるという計画。

30年ぶりの川中島。この日 ゆっくりと川中島の合戦地の多くの史跡を訪ねた。頭に長らく描いていた川中島のイメージが何か繋がったように思えた。

国難に殉じた慰霊碑
妻女山の上杉謙信の本陣あとには
川中島の戦いとは別の
真新しい慰霊碑が立っていた。
この周辺の地域で 国に殉じて亡くなった人たちの慰霊碑。
(令和元年に建立)。

徳川幕府と官軍の戦争、戊辰戦争(1868年)から
大東亜戦争(1945年)まで、亡くなられた方の名前が町村毎に刻まれていた。
戊辰戦争。西南戦争。日清戦争。日露戦争。シベリア出兵。シベリア蒙古抑留。満州事変。満州居留民。満州開拓青年義勇隊。満州居留警備隊。満州開拓殉難者。日中戦争。大東亜戦争。

歴史の多くは戦争の歴史だ。戦争の合間に文化、経済が繁栄する。
また、戦争でリセットされ、その繰り返しで人類は繁栄してきた。
戦後75年大東亜戦争以来 大きな戦争は起きていない。
核兵器の抑止力もあって、大国間の戦争は起きてはいない。

しかし、昨年からはじまった
民主国家の代表アメリカと
独裁国家の代表 中国の経済戦争。
この結末はどうなるのだろうか?
平和ボケ国家に住む私。

ボケているのは私だけだろうか?

妻女山の展望台の上に立って、ふと考えた。

試験に遅刻・・夢

Posted on September 18, 2020 at 12:17 AM Comments comments (1654)

最後の講習と試験が その日あった。
朝 忙しく起きて、服を着る。

何を着ても何か決まらない。
ズボンが合っていないんだと タンスを開けた。

家にいる間にもう試験開始の時間がはじまってしまった。

どうしよう どう言い訳しよう。
考えながら家を飛び出す。

この試験を通らないと資格が取れない。
何の資格なのかわからない。

ようやく学校に着く。
馴染みの校舎だったのに
校舎の中は大改装されていて迷路のようになっている。

試験会場の教室へ向かう一本続きの廊下が見当たらない。

仕方なく細く急な螺旋階段 を登ると そこは学生食堂だった。

ふと小便を我慢していたことに気づく。
トイレ トイレ。
試験の終わりの時間が近づいているのに。
トイレの標識を追いかける。
トイレを見つけた。
ところが標識はあるのにトイレはない。
学生が食事をしているばかりだ。
諦めて小便を我慢することにする。
もう試験も終わる時間。

家にいるときから、この遅刻をどう先生に言い訳しようかといくつもの物語を考えていた。
いい回答がなかなか見つからない。

校舎の迷路に居ては駄目だと校庭に出る。
校庭から回り込むとように校舎を回ると
試験会場の三階の窓が見えた。

窓から私を見つけた同級生がみんな早く来いと手招きしている。
最寄りの入り口から入って階段を走って昇る途中。
終了のチャイムが鳴った。
たくさんの人が階段から降りて私と交錯する。
同級生達の姿は見えない。

教室にたどり着くと空っぽ。
誰も居ない。

そこで夢から覚めた。

夢をあまり見なくなった。
これも老化かなと思ったりもする。

時々見る夢は
留年や落第 試験の夢?
何かやり残し、消化不良。

新総理大臣

Posted on September 17, 2020 at 11:26 PM Comments comments (1895)

私の小学生時代、総理大臣とは佐藤総理だった。
(昭和39年から昭和47年までの8年間)
同姓の総理大臣。

その前となると池田勇人(昭和35年から昭和39年)。
私の中で もはや遠い白黒写真の時代となってしまう。

菅内閣総理大臣が就任した。
今までの総理候補に圧倒的な差をつけての完勝だった。
思わぬダークホース。
全く予想なし、いきなり最高権力者に登り詰めてしまった。

内閣官房長官として長きに渡って安倍政権を支えてきた手腕。
政党内で評価された。

農家からサラリーマン。
市議会議員から衆議院議員。

たたき上げで コロナ大不況下の日本の舵取りを任された。

私の期待していた100年に一度の経済不況。
彼はどんな舵取りをするのだろうか?

ダークホースとは
本来は能力のよく分からない馬という意味らしい。

彼は安倍政権を支えた8年間。
内閣官房長官という内閣の立場でその実力を発揮した。
少なくともと有事には混乱の時代には
血筋のよい政治家、サラブレッドでは難しいと
自民党内の政治家は判断したのだろう。

菅新総理は
政権の方向に邪魔をする官僚は
容赦なく人事異動権を使うと宣言した。

既存組織に胡座していた既得権者には怖い内閣が生まれた。
草莽崛起・・・吉田松陰の言葉。

とにかく期待するしかない
これから来る ほんとうのコロナ大不況を
できるだけ短期間で脱するために


子供のお金の使い方

Posted on September 17, 2020 at 5:23 AM Comments comments (2226)

上野で食事をしていた。
隣の席に若いお母さんが二人、話に興じている。

これから子どもたちを科学博物館に連れていくらしい。

三人の子どもたちはその脇で
子どもらしさを発揮して騒いでいる。
ちょっとうるさいくらい。
まわりの客も迷惑そうだ。

そんなの知らない風に
母ふたりは話に没頭している。
少し翔んでそうなお母さん(ママ)だった。

私は唇に人差し指立てて、騒ぐ子どもたちを見つめると。
「キョトン」としたあと
暫くの間は静かになっている。

話が尽きたのか、ようやく母親達が立ち上がる。
ひとりの子どもがゲームセンターに行きたいと言い出した。

科学博物館に連れていきたい行きたい母親ふたり と
ゲームセンターへ行きたい子供たちとの会話

子供たち
科学博物館よりゲームセンターがいい
ママ
ゲームセンターは 何もあとに残らない。
そういうお金の使い方は自分が稼ぐようになってから。

子供たち
「じやぁ」  貯金しているお金は僕のお金だから
ゲームに使ってもいいの
お年玉がたくさん貯まってるから

ママ
お年玉は自分で稼いだお金ではないでしょ
だからそれは大切に使うお金なの

子供たち
お手伝いをしてもらったお金は?

ママ
それは働いてもらったお金だから自由にしなさい。

今は何かためになること!
何か残ることに使うこと!

今日は科学博物館。
きっとあなちちの役に立つから。

だから自分で給料がもらえるようになったらゲームに自由に使いなさい!

私は思わず会話をメモしてしまった。

上野科学博物館は私も子供の頃
なんどか連れてもらった。
恐竜から、はじまって
猿から人間へ、そして動物たち。
最初の博物館見学には最適なところだと思う。

やっぱり大不況がやってくる。

Posted on August 23, 2020 at 4:58 AM Comments comments (2291)

音楽活動をはじめた頃、

まだ大正生まれの高齢者の方がたくさん施設にいらっしゃった。

その頃、語り部は

皆さんが生まれた頃
①関東大震災(大正11年)が起こった。
と 話をしていた。



続いてアメリカのバブル崩壊に起因して
②世界大恐慌(昭和4~)が勃発。
日本も大不況に見舞われた。

アメリカでは当初3年間でGDPが27%縮小したという。

日本は大不況を脱するために海外に覇権・・・・これが
③満州国建国となる。

日本とアメリカのアジアへの覇権争いの結果・・・
④大東亜戦争がはじまった。

⑤日本は敗戦したけれど、皆さんの努力で
世界の第二位の経済大国となり。
世界有数の幸せな国となった

こんな話をしていたことを思い出した。


大不況がやってくる。
先般 4-6月期のGDPの速報値が(GDP成長率)ニュースになった。

前年比で年換算すると27.8%のダウン(約30%ダウンと考える)が見込まれるという。

←先進諸国の中で日本は健闘している。イギリスは約60%のダウン。

GDPは労働者の賃金の源資である。
1時間あたり・・・GDPの28%が賃金だと言われている。

少し乱暴だけれど30%の賃金ダウンと捉えると

月30万の賃金が21万円に下がる。
年収500万円なら 年収350万円になるということ。
150万円の減。

多くの企業は社員給料の減額より。
すなわちリストラに動くだろう。
失業者が増えていく。

会社都合の失業保険
賃金の5~6割の額で6~7ヶ月支給される。

失業保険の給付が切れた時
不況は拡大していて就職先がない。
これが大不況の姿。
景気回復まで仕事につけない状況が長くつづくことになる。
失業率が高くなる。

大東亜戦争。その戦後10年間と同じように
・・・身近な人間関係の助け合いが必要となる。

不況対策 第一の矢 第二の矢
それでも日本の政治はコロナ対策をしながら一方で壊滅的な打撃を受けている①旅行業や②外食部門に補助金を出して支えようとしている。

これから矢継ぎ早の対策が必要である。
まさに政治が前面に出なければならない。

日本の政治力がほんとうに試される。
ここでやれなければならない。

コロナより怖い大不況を防ぐために!

大手のマスメディアは コロナ、コロナと感染者の人数を念仏のように
嘆いているだけ。
政府の経済対策を非難するだけ。

年間GDP27.8%減でどのような世の中になるか?
誰も直視して語ろうとしない。

死のリスクはコロナ感染より
これから来る大不況の方が
はるかに怖い。

歴史を学ぶということは、
将来を予測できる力をつけること。

容易ならぬ不況を乗り越えるために
何をすべきなのだろうか?




義父と2.26事件

Posted on August 13, 2020 at 5:53 AM Comments comments (8140)

職人の義父
もう92歳になる義父は荻窪で戸建て住宅に携わる職人をしていた。

妻の話では若い頃は仕事三昧
家族旅行や どこかに連れていってもらったという記憶がないという。
家族で出かけるのは 盆暮れの義母の田舎帰りくらいだった。

独身の職人を何人も住まわせていた。
この頃は休みも少なく働きづめだったという。

妻はサラリーマンの週1回の休みのある家庭に憧れをもっていたらしい。

昭和30年からはじまる就職列車
それもそのはず。
確かに私達が育つた時代は
高度経済成長の只中だった。

地方から上京した人たちは少し金銭的に豊かになると
皆 競って家を買った。

家 すなわち一国一城の主。

家を持ってはじめて東京人のはしくれになれた。
田舎にも錦を飾れる
ーそんな気持ちになれた。

義父もまさに高度経済成長のど真ん中で家を造っていた。

義父との昔話
妻の実家に行くと義父とよく昔話をしていた。
子供の頃の遊びの話や仕事の話。

そして、話も佳境になると決まって鮮烈な義父の記憶。
2.26事件の話題になった。

渡辺教育総監(陸軍大将)。
昭和11年2月26日発生した。
大規模な陸軍下士官を中心とする反乱事件が起きた。
2.26事件。

義父はその日の早朝 自宅前の商店街を騒がしく走る
反乱軍のざわめきを聞いていたという。

朝が明けると 渡辺教育総監が殺害されたという話が伝わってきて愕然。
義父の家からそう遠くないところに渡辺教育総監の家があった。

陸軍大臣、参謀総長、と並ぶ3権といわれた教育総監。
なぜ陸軍の最高幹部が同じ陸軍の若手将校に襲われたのか?
戦争への道筋を決定づけた事件となった。

なぜ渡辺教育総監は殺害されたのか、

私にとって、義父の話は当時の世情を学ぶきっかけとなった。 

渡辺教育総監は、若い頃、ドイツに駐在していて
泥沼の第一次大戦で疲弊した欧州各国の現実をつぶさに見ていた。

「非戦」思想を持つようになったという。

そして、その目的を達するために日本は軍事力を整備しなくてはいけないと考えた。

戦争は悲惨なもので絶対に避けなければならない。

戦争を避けて平和に済ますことが出来ればこれに越したことはない。
しかし、利害を異にする国家間の紛争は年々大きくなっている。

国家間の調整は難しい。

国際連盟、軍縮会議の状況を見ても明らかで
方針をまとめることさえできていない。

だから日本は万一に戦争を仕掛けられても
絶対に負けないだけの強い軍事力を備えることが重要。

この軍事力を持てば、恐らく戦争には巻き込まれることはない。

中国をめぐるアメリカと日本の覇権争いの中で
マスコミや若手の将校達の中に戦争を望む声が大きくなっていく。

戦わないための軍事力ではなく
戦うための軍事力。
大きく流れを変えた事件が2.26事件だった。

現在の世界情勢は変化している。

コロナの影響でボランティア活動も ようやく一ヶ所で復活したばかり。

8月の話題はいつも原爆、日航機墜落事件、玉音放送。

もう10年以上もこの話をしている。

私なりに、少しづつ歴史に対する理解も深まっていると思う。

歴史は繰り返すという。
繰り返さないため?
ふと考える。



革命児

Posted on July 31, 2020 at 8:02 PM Comments comments (2507)
100年に一度の試練。
コロナウイルス。
平時の取り組みでは、この危機は乗り越えられない。
時代の混乱期には大胆な施策を実行できる
革命児が---。

太平の世の中では その能力を
発揮できない異端児。
予測のつかない時代に現れる。

戦国時代、将軍の権威が失墜し、
群雄割拠の戦乱の時代が続いた。
それまでの中世につくられた
権威や常識を打ち壊し
出現したのは緒田信長だった。

幕末の風雲の中、長州にあって
幕府軍に包囲された中で
電光石火の如く現れた高杉晋作。
明治維新に至る導火線に火をつけた。

私の好きな戦乱期の英雄ふたり。

コロナウィルスによる世界的な大不況が
今まさに起きている。
そして、数年は続く。

平時の政治の延長戦では
この歴史的な事件を早期に脱することはできない。

これからたくさんの経済的な困窮者が発生する。

常識にとらわれない歴史的な判断と
実行力が必要である。

革命児は生まれるのだろうか。

歴史を知るということは
先人達の知恵を学ぶということ。


今まさに、この時にそれを
生かさなければならない。

この危機に何をすべきか・・・・




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